のんべんたらりと備忘録

読み終えた本や見終わった映画から日々の生活の中で感じたことなどをただつらつら、のんべんたらりと書き綴るブログ

今日読み終えた本や日々の何気無い感想を適当に書き綴っているこのブログ

このブログにも何やらわざわざ覗いてくださる物好きな方々がいるらしい

とてもありがたいことだが、特に宣伝しているわけでもないのに何故か?

そう思って過去のログを解析したところ、どうも流行りのキーワードに飛びついた

というわけでもないらしい

今のところ一番閲覧が多い記事は、以前についていきたい上司について

書かれた書籍を紹介した時のものだというのがわかった

なるほど、上司と部下の関係というものはサラリーマンにとって普遍的な興味の対象らしい

 そもそも良い上司、悪い上司とはどのように生まれるのだろうか?

良い上司、それはつまり、『自分にとって都合の良い上司』である

否定する人もいるだろうが、これは間違いのないことだ

 自分に対して、快楽を与えてくれる上司を好くのは当然だ

逆に自分に対して苦痛を与える上司を誰が好むだろうか

マゾヒストならば好むのではないか等と斜の意見を述べるものもいるだろう

だがそれは他人から見て苦痛と思える刺激が当人にとって快楽であるに過ぎない

 結局それはあらゆる人間関係に対しても共通して言えることだ

上司と部下というのはお互いの関連性の微々たる差異に過ぎない

都合のいい上司が良い上司ならば苦痛を与えない上司が最上の上司だろうか

どうやらそれも違うらしい

世の中にはマッチポンプという言葉がある

 取るに足らないことをわざわざ大事に見せかける賢しい手口のことだ

それと似たようなことが人間の心理の成長に時として寄与される

 例えば、上司にきついお説教を食らわされた人がいたとする

その人に対して別な上司が慰めの言葉と改善方法を伝えたとしよう

すると叱られた人は改心して同じ過ちを繰り返しはしないだろう

ここで仮に最初に叱る上司がおらず、 慰めた上司が同じ言葉を同じ人にかけた場合

結果は同じだろうか?おそらくそんなことはない

この場合、ひどく遠回しにだが、 最初に叱る上司は叱られた人間にとって結果的に
 
『自分に対して、都合の良い上司』と言えるのではないだろうか?

物事は考えようだ

今ここにある真実というものが何時でも正しいとは限らない

今の不都合が未来にとって好都合になる可能性がある

それは上司と部下の関連性にも言える、そう考えればもう少し気が楽になるのではないだろうか?

それは上司から見た部下、部下から見た上司、両方に言えることではないか?


......考えたことを酔いに任せて適当に書くと徹頭徹尾、趣旨貫徹ができない実感する今日この頃

最近、心理学チックな本に手を出している

そこで納得もするが幾つか疑問や腑に落ちない部分が結構ある

自分は心理学を習ったわけではない

ここでの記述に誤りがないとは言い切れないがとにかく書いて見る
 
心理学の腑に落ちない部分、その一つは自分の身にふりかかった災難への対処である

対処と言っても『嫌な気分を引きずらないためには』というストレスの緩衝法の類だ

災難への対処の大体は『発生した災難が自分にとってどの位置づけにあるか』

ということを整理する事だ

そして『まあいっか、しょうがない』と言える妥協点を探し出す

それはそれでいいと思う

しかし疑問なのは、比較対象が災難と無関係である場合だ

例えば、『財布を落としたことと難病にかかるのではどちらが大事?』

と問いかけることもある。これらはどう比較したものか?

まあ、きっと財布に入った金と入院費を比較しようとしているのだろう

一応の納得は得るが、腑に落ちない部分は残る

ストレスへの対処はそういった『諦め』や『言い訳』が重要

心理学チックな本を読んでいるとそんな気がしてならない

自分としてはそういった『諦め』や『言い訳』というものがあまり好きではない

しかし鬱にならない、ポジティブに生きるためにはそれが大事らしい

だが『諦め』や『言い訳』が人間の成長を阻害することはないのだろうか?

また、別な部分でも同様の疑問が発生している

自分の失敗に対するストレスの緩衝法として、原因を外的要因に求めることだ

例えば、仕事に失敗した時、原因を自分の運が悪かったと思うことだ

逆に言えば自分が失敗した理由を内的要因に求めてはいけないということだ

内的要因に求めるとは、ここでは失敗の原因が自分の能力不足だと思うことだ

確かに、ストレスの緩衝法として、問題の原因を外敵要因に求めるのは簡単だ

しかし、それで人間の成長というものがあり得るのかと考えてしまう

だが、そうやって人間に上昇志向を求める一方

その容易な道にすがりたくなる自分の本心と

失敗の全てを内的要因に求められるほど、人の心は強固であり得るのか

という疑問が自分の中で渦巻き、疑問を一層深めていく


ヨイトマケの歌って何?

初めて聞く単語だったのでWikiで調べてみた

まず、ヨイトマケとは土木工事の日雇い労働者を指すらしい

そしてヨイトマケの歌とは美輪明宏さん作詞作曲の歌である

この歌は土方の父とヨイトマケの母を持つ少年が

差別に苦しみながらも母の働く姿と歌声を聞くことで

「勉強するよ」 と克己の誓いを立てる物語

年末の紅白でこの歌を歌い上げる美輪さんの姿はさながら

一人芝居をする役者のようであった

情緒豊かな表情と動作は見る者を美輪さんの 世界に招き入れる

まさに紅白はこうあるべきというような素晴らしい舞台だった


 


ところで、この少年は美輪さん自身ではない

美輪さんは物心つく前に母を亡くされている

そういう意味ではこの歌の母親は美輪さんの理想の母親像

なのかもしれない

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